4/14/0018

所得格差

新年度を迎えたせいだろうか。今日は睡眠を十分とる時間もあったにもかかわらず、早朝に目覚めてしまった(最近ではその時間まで仕事をしていることもあったので、必ずしも早朝といえるかは分からないのだが)。蓄積した疲労を取るために、いくら寝ようと思っても神経の高ぶりか、疲れすぎで眠れないのか、ともかくbedの中で無意味に時間が過ぎていたので、起き出すことにした。
そんな中、ふと昨日の記事を思い出したので再度眺めてみた。中日新聞の「20代の所得格差が拡大」という記事である。Permalinkなのか怪しいので、ちょっと引用しておく。
厚生労働省が毎年作成する「労働経済の分析」(労働経済白書)の2006年版骨子で「20代の所得格差が拡大し、固定化が懸念される」と指摘していることが分かった。
ある程度は予想可能であったことではあるが、実際に文字として見せられると考えさせられる。

今後、より格差は拡大していく傾向が強まるのであろう。日本は一体どこへ行こうとしているのであろう。

常々「日本は民主主義であるといいながら、実質的には日本的共産主義とも言うべき状況下にあったのではないか」と思っている。不思議なほどの平等思想や実際にあるであろうが表面にはあまり現れない搾取構造など、よい意味でも悪い意味でも共産主義的であった部分があるように思われてならない。「…であったのでは…」と書いたように現在はいくらかその傾向に変化が見え始めているのであろう。

明治以降昭和の時代までの多くの時間の中、日本は多様な価値観を許容せずに ― ある意味一神教的ともいえる ― 似たり寄ったりな倫理観・価値観を共有してきたのではないか。勿論、明治期に入って突然そのような状況になったわけでなく、徳川の世から新渡戸稲造が著した意味での武士道(Bushido: Samurai Ethics and the Soul of Japan)の精神もこの価値観の共有の背景にあることは否めないと思われる。その共有の中、平等意識が生まれ、(その目的が何であったかは議論の余地があろうが)戦後の農地政策の方向転換や財閥解体等に見られるように富める層を排除する(させられた)ことで、より一層それが促進されたように思われる。

それが崩壊しようとしている。いや、あるいは既に崩壊しつつある、さらに言えば崩壊してしまったのかもしれない。占領時以降、日本はAmericanizedされる一方であり、例えばマネー敗戦においても指摘されているが日本の金融政策の背景を考えるとAmericaの属国、あるいは51番目の州のようにさえ思えてくる。このことを考えるに、既に日本型共産主義である平等思想が崩れるのは時代の流れなのであろう。

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