掻い摘んでそのあたりのお話を纏めてみると…
子ども―言葉を話し始める程度の頃―がある単語を認識する際に、同一の単語であっても発声する人によって、あるいは同じ人物であっても、その発声された音の高低を所謂絶対音感で認識して判別、区別した場合には「別のもの」と認識されるであろうが、相対音感で認識するが故、その後の認識が可能となるといったの文脈の流れを継いで
ある歌を高低を外しても歌っていられる(つまりは音痴だってことらしい)のもこの相対音感のお陰で、このような能力があるのは人間だけだよといった具合だ。
なるほど、音痴(ここでの相対音感)はある意味人間の才能のひとつなのかもしれない。確かに種々の音声の中からある特定の語を認識するというのはかなり高等な情報処理が行なわれているのかもしれない。ここでふと思う。そもそも音って何なんだ? 波・振動が鼓膜やその関連器官によって電気信号化されて脳細胞に伝わるときには「音」はどうなってるんだ? その高低などの情報を相対化して、同値類を作ってそれを多くの単語群の中からある特定の語を選び出してそれに対応させるってどんなことが頭の中で行なわれているんだ? ん~悩ましい。
動物の鳴き声はその高低を除いて同じようなものもであっても、その高低のみで異なる意味を持ちcommunicationに利用されているのもあるのかもしれない。この処理系と人間のそれはどうして、どのように違うんだろう。
世の中悩ましいことがいっぱいだ。


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